私が市会議員を目指すことになったのは・・・
小学校4年生のころ大学生の従兄弟が居候することになりました。大学生活に憧れていたけれど家庭は貧しく、高校を出たら就職するつもりで商業高校へ進学。卒業後、信用金庫へ就職したけれど「寿退職」していく女性ばかり。
そんな時に「大阪かわち市民生協」(現・おおさかパルコープ)を知り、縁があって転職。「一人は万人のために、万人は一人のために」~このステキな言葉が新しい一歩を踏み出すきっかけとなったのです。
若かった私に経理の基礎をしっかり叩き込んでくれたのが、パートのSさんでした。妹のようにやさしく、ていねいな指導に「早く一人前にならなければ」という気持ちと、労働時間が短いだけで実力充分・・・正規雇用の私の方が給与が高いなんておかしい、そんな思いを胸に労働組合運動にも参加したものです。
労働組合では「賃金労働者、消費者の生活を守る専門性」を両立することを学びました。そして、労働条件は日々改善され、生協も急速に大きくなりました。やがて労働組合で出会った夫と結婚し、男児を出産し、保育所に預けて、多くの人々に助けられながら経理の仕事も続けてきました。
夫の転勤とともに退職、西日本を幾度転居。身につけた経理事務にお仕事経験の幅も広がり、一人息子は無事就職して独り立ち、夫の転勤とともにステキな若い街・長久手に転居してきたのです。
政治は主婦には縁遠いもの、そんなふうに思っていませんか?長久手に転居して2年、身近かなところから少しずつ、おかしなところ、もっとこうすれば良くなるのに、と思うことが見えてきました。
「政党助成金」ってあるでしょ?
毎年、320億円もの税金をもらう(受給要件の5人を満たす)ためだけに政策や理念の違いさておき、国会議員がくっついたり離れたり・・・20年間で6,311億円。しかも「キャバレーでの遊興費やコミック本の購入」とは・・・
庶民が日々のくらしに汲々としているのに、政治の場ではこんなことがまかり通るの?これからの日本を担う若い議員がそんなことを”当たり前”に思っちゃマズいですよ。その辺り、日本共産党は清潔ですよ。
長久手市の議会も傍聴させていただきました。ある議員が「市の固定資産台帳の整備が遅れている。会計処理も現金主義ではなく、発生主義でやるべきじゃないか。」と質問されていました。世間常識からかけ離れた経理処理水準に絶句!これだったら私にもできることがあるのかも、そんなことを考えました。
こどもや若い人々が多い活気ある街・長久手。こども達にはのびのび、楽しい環境で育ってほしい。
お父さんお母さんにもこどもとゆっくり過ごせるよう、「残業手当0法案」じゃなくて「残業0でさっさと帰れる」暮らしが望ましい。市民の税金はムダなく有効に使い、教育費、医療費の負担も軽くしたい。
日本共産党は戦前も戦後も、反戦平和を掲げてきました。5月には「戦争立法」の法案が提出される動きがあります。長久手市民の皆さんとともに「憲法9条を守れ」の声を必ず市政から、そして国政に届けます。
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